2011年1月27日15時41分、霧島連山・新燃岳は52年ぶりとなる爆発的噴火を起こしました。その後、幾度となく噴火を繰り返し隣接する高原町、都城市などは、私たちが日常生活で経験することのない、想像もつかない降灰に見舞われました。
ご存知のとおり宮崎県は、昨年の家畜伝染病・口蹄疫に続き、今年は鳥インフルエンザにと、目に見えないウィルスとの戦いを強いられ、予防対策は今も継続して行われています。昨年、EMGとしては口蹄疫義捐金を宮崎県に寄付するとともに、私たちは消毒ポイントでの協力や、イベント自粛などの間接的な支援活動しかできない状況にありました。
そんな中、高原町に災害ボランティアセンターが開設され、誰にでも人的支援ができる環境が整いました。早速、社内で参加希望を募ったところ、有志20名の賛同があり、休日を利用して降灰除去のボランティア活動へ参加いたしました。
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~活動の記録~
■日時■ 2011年2月11日(金) 建国記念の日 10:00~15:00
■場所■ 高原町立狭野小学校周辺(新燃岳より10Kmの距離)
<国道223号線を西へ> <間もなく狭野小学校へ到着>
<学校廻りには大量の火山灰> <前日の雨で重みを増す>
<昼前に爆発的噴火あり> <この後、火山石のシャワーが>
<狭野神社の参道にて> <噴火も落ち着き、昼食タイム>
<粉塵との戦いはまだまだ続く> <交差点は徐々に元の姿に>
<気持は さわやか号 の如く> <本日の活動お疲れ様でした>
~編集後記~
朝方まで続いた雨で、土石流などの2次災害を心配していましたが、逆に恵みの雨となり、作業中は灰の撒きあがりもなく、適度な湿度、ほど良い気温により、心地よい汗をかきながら快適に作業することができました。
今回、高原町に開設された災害ボランティアセンターは、被災された町民とボランティア双方の希望をマッチングさせる言うなれば災害版ハローワークでした。避難勧告以来、休校中の狭野小学校が翌週から再開するということで、センター側のご厚意により分散せずに全員一緒に学校廻りの降灰の片づけを行いました。 水分を含んだ火山灰は重みが増し、なかなか簡単には進みませんでしたが、徐々に要領も分かり順調にペースを上げて作業が進んで行きました。
昼前、山の神の洗礼を受けたかたちで間近で久々の新燃岳の大爆発が起きました。ドォーンという轟音が鳴り響き、約2500m上空まで噴煙が上がりました。10分後には上空がこげ茶色に変わり、ゴマ粒大の火山石がシャーシャーと音を立てながら シャワーのように降り注ぎました。私たちは事前に作業をストップし、校舎の軒先に避難してこの状況を静かに見守り続けました。その後、近くの狭野神社の参道で昼食をとり、午後からは国道沿いの交差点で作業をやり遂げ、後片付けを含め全ての活動を15時には終了しました。
狭野小学校の校長先生を始め、地元住民の方々、災害ボランティアセンター職員の皆様方から、「ありがとう」「ありがとう」の感謝の言葉をいただき、私たちを必要としていた方々が居たことを身を持って実感し、同時に今回の活動の意義を改めて体感できました。
ボランティア活動とは世のため人のために行う献身的な活動であることは言うまでもありませんが、現代社会においては、自己のアイデンティティを形成する上で、最も大切な小さな行動かもしれません。今回の活動を通して、「社会の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいのか」という問い掛けに、適切な答えを出してくれたことは言うまでもありません。
最後に、ボランティア活動とは、実は自分のために行う活動でもあるということが良く分かりました。